品質管理の重要性を認識し、米国で初めて「品質管理部門」を設置

ハワード・ハインツ(当時28歳)
ヘンリーの亡き後、H.J.Heinz社の二代目社長に就任したのが、ヘンリーの次男ハワードでした。1877年に誕生したハワードは、エール大学では化学を専攻し、卒業後すぐにハインツ社に入社しました。ハワードは兄弟のいずれにも増してビジネスに傾倒し、父の事業に興味を持っていました。そのため、父からの期待にこたえようと、一生懸命に努力したのでした。1906年には妻エリザベスと結婚し、その2年後には長男を授かります。ハワードはその赤ん坊の名前を、尊敬すべき父の名にちなんで、ヘンリー・ジョン・ジャック2世と命名しました。その後、父ヘンリーが他界した1919年、ハワードは42歳の若さで社長職に就任し、以後22年間にわたりハインツ社を統率したのです。

妻のエリザベスと息子のジャックとラスト
学生時代に科学者としての訓練をつんだハワードは、品質管理の重要性を認識し、新たに起用した細菌学者のハーバート・N・ライリーらとともに、食品の製造加工プロセスに科学的な品質管理を導入しました。これにより、ハインツ社は品質保証の基準と手続きのパイオニアとなり、米国で初めて「品質管理部門」を設置した企業となりました。

ハインツ・チャペル。ハワード一家は幅広い方面に支援を提供。このチャペルはピッツバーグ大学へ寄贈した。
ハワードが社長を務めた時代、1929年と1939年の2度に渡り世界恐慌がハインツ社を襲います。しかしハワードの手腕により、この2度の危機を無事に乗り切りました。恐慌を乗り越えただけではなく、社員の愛社精神を向上させ、新製品の投入により製品ラインナップを拡充するなど、より一層会社を成長させることに成功したのでした。
その後もハワードは、海外の新拠点を設立したり、広告やマーケットリサーチを強化するなど、社の拡大に努めましたが、1941年2月、発作によりフィラデルフィアで亡くなりました。64歳でした。