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09 三代目の社長 ヘンリー・ジョン・ハインツ2世

09 三代目の社長 ヘンリー・ジョン・ハインツ2世

1961年、日本で日魯漁業と合弁事業を設立

父、ハワードと一緒のジャック(6歳)

1941年に父ハワードが他界し、息子のヘンリー・ジョン・ハインツ2世が33歳の若さでハインツ社の3代目の社長に就任しました。
当時の新聞によれば、彼は「きわめて教養が高く・・・音楽、文学、社会的ふるまい、そして食品に対する嗜好は完璧なまでに磨き上げられていた」と書かれています。大学院卒業後に、英国で修行をしていた時代のジャックの写真を見ると、彼はホンブルグ帽、堅い襟、営業カバンという、当時の営業マンらしいいでたちをしています。

英国で営業マンとしての修行時代に食料品店の前に立つジャック

彼が社長となったのは、第一時世界大戦の勃発直後で、食糧の配給制や輸入制限、ブリキ缶令による缶入りスープの生産中止など、様々な困難に直面しました。しかし、ジャックは過剰生産能力を活用して戦時物資の製造に協力したり、「赤い羽根募金」で知られる共同募金の会長を務めたり、また米国が孤立主義に陥る中で、積極的にヨーロッパの食糧援助や復興に時間を割くなど、市民と企業のリーダー的存在として活躍しました。

共同募金全国キャンペーンの為に、トルーマン大統領を訪問。共同募金の赤い羽根のシンボルは、ハインツ社デザイン担当の女性によるもの。

1960年以降は、海外展開も積極的に行なわれ、1961年には日本で日魯漁業と合弁事業を設立し、1963年にはミラノのベビーフード会社のプラズモンを買収しました。また、1964年にはメキシコにハインツ・アリメントス社を設立し、1965年にはオレアイダ・フーヅ社の買収により冷凍食品事業に進出するなど、現在に至るグローバル企業としての基礎を造りました。

しかし、ジャックは本質的に、収支状況よりも品質・味・栄養・デザインを重視する人物でした。また、1946年に初めて株式を公開した後も、ハインツ社を大家族のように、もしくは個人企業のように経営し続けました。
当時は米国の食品業界も劇的な変化に見舞われていました。数千軒あった家族経営の食料品店が、大規模なセルフサービス店やスーパーマーケットチェーンに取って代わられ、食品会社も大きな転換を迫られていましたが、ハインツ社は、その時代の変化にも乗り遅れていました。 こうしたハインツ社の改革は、1966年にジャックが会長に退いた後、ハインツ社で初めて創業家以外から社長に就任した、バート・グーキンに委ねられることになります。

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